ご報告

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村山祥栄議員が今週16日に記者会見を開き、市長選挙出馬とそれに伴う京都党離党(及び代表辞任)を表明しました。

学生時代より、当時29歳だった村山祥栄議員の市長選挙に学生部として携わり、その後京都党の結党メンバーとして共に歩んできました私としては、ついにこの日が来たのか、と言葉にできない緊張感が漂っています。

村山祥栄議員が無所属となって首長選に挑戦するのは、首長選挙は政党対抗で行うこと自体が議会内のしがらみの温床となり、地方議会で“首長選を応援してくれた政党か、そうでないか”で扱いを分けられ、すべての当選議員に託された市民お一人お一人の一票に濃淡ができてしまうことを避けるためです。

そのため、私たち京都党議員にとって、将来に借金を積み重ねない、交通の利便性向上、大学卒業後も住み続けたい街など、村山祥栄議員は思い描く都市像を同じくする先輩議員ですが、私たちは政党という枠組みを超えて一議員として全力で押し上げて参ります。

「村山議員が抜けて大丈夫なのか」というご心配について、正直に言いまして当然プレッシャーはあります。村山祥栄議員はアイデア豊富な議員であり、京都党を力強く牽引してきてもらったことは確かです。ただ、京都党はもともと市政への純粋な思いを持った、“自身が政治家になりたいというより、京都市政のために尽力したい”との未来志向で、民間感覚で、従来の政治のしがらみ体質を根本的に取っ払いたい、との思いを共有した仲間で形成しており、この思いは村山祥栄議員が抜けても変わることはありません。

今の京都党は、村山祥栄議員の努力はもちろんですが、これまでの現職議員、候補者、ご支援いただいた皆様によってつくられてきたものですので、引き続き見守っていただけると嬉しいです。

今回の挑戦において、充分な後ろ盾がない中で飛び出すことは無謀だと思われるかもしれません。

しかし、私たち京都党議員は、充分な後ろ盾があったから出馬を決めた人間など誰一人おりません。それでも手を差し伸べてくださったお一人お一人のお力が大きなうねりとなり、市議会へと送り出していただきました。

お金や権力といった政治家イメージとは全く異なる、私財も肩書きも何もかもを投げ打って、村山祥栄議員は京都市政のために立ち上がりました。自公民相乗り対共産の京都市長選挙の長く続く構造はそろそろ変えねばなりません。二極対立の選挙でなくなることへの不安のお声もあります。しかし、これまでの選択肢のない選挙に対するご不満のお声も私は非常に多く伺って参りました。新たな動きをどこかで起こさなければ100年後も状況は変わりません。

今回は、市民が市民のためにこの街のリーダーを選ぶ選挙になることを強く願っております。

この街がさらに前進していく臨場感を感じてもらう市政を目指します。

 

京都市会議員 江村りさ